◆◆◆ 035★注文の品を作る ◆◆◆

2003.10.10

オジャラは、アトリエを開いてから、初仕事らしき銅版画の注文を頂く。

早速仕事が来るので、東京というのは、スゴイところだと実感するとともに、自分なりには、かなりの驚きがある。あり難い。

雑誌表紙のイラストなどとは違って、絵の注文である。絵を注文されることがあるなどとは、信じられない気持ちでイッパイだ。

そんでもって、ここの所、注文の銅版画というのを毎日作っている。

注文数は120枚。

一枚の版で作るのは、ちょっと難しい数である。

物理的に出来なくはないのだが、版のコンディションを均一に保ち辛いのと、同じのだと、作っている自分が飽きてしまい、辛いという、二点である。

版画は売れなくても毎日のように作っているので、注文品は、4版作ることにして、各30枚刷ることに決める。

下絵は、サラサラと出来て、いくつか版を作ってみたのだが、実際は、文字が潰れてしまったり、絵が上手く腐食できなかったり、下絵のようには作れない。しかも、3枚は、まあまあの作品なのに、一枚だけ、著しく絵が落ちてしまったりもする。シリーズ物は、難しい。

版画製作の合間に作った、展示用の箱

100円ショップで売っていた枡を黒く塗り、

ビーズを取り付けて完成。

それでも、お代金をいただけることが解っている作品作りというのは、力が入る。

アタシの希望としては、箱を開いたときに、『わぁっ。カワイイ』などと、多少の感激がないといけない。

アタシの作品であるならば、なんらかの行動を伴うメッセージがなければならないし、笑っていただかなければならない。

そういう、画面作りの難しさというのはある。

そうして、このシリーズだけでも、自分の版画の力が、どんどんと上がってゆくのが解り、それにまた驚かされるのである。(4版作る予定だったが、実際には、10枚作り、6枚は失敗。)

完成はもうすぐ。

おおっ。100円の箱は、このように、

豪華なディスプレイに変身。

ちょっとは、ショップらしくなったかしら?

全然なってない?

そうだよなあ。

万華鏡を作りにきた従兄弟も、

『ここじゃ、誰にも解んないよ』などと言い出すし。いいのよ。ひっそりとで。別に。

バリから持ってきた奴だしさ。

新しいのは、みんな、配っちゃったから。(お蔭様で、お仕事頂きました。サンプル配布は、効果アリ・・・と、日記には書いておこう。)

カウンセリングルーム『太陽』の、カウンセラーさまが、結婚25周年イベントをやると言い出し、行って来た。

帰りに引き出物まで頂いて驚いたが、その引き出物が、ランプだったので、また驚いた。

アタシは、版画の細かい線を見たりするのに、卓上用のランプを買おうと思っていたところだったからである。

中国製の華奢なこのランプは、夜、本を読んだりするのに使う品らしく、当然にあまり明るくない。

従って、反面はカッターでカットされてしまう。

おおっ。明るいぜ。

このカバーは、時間が出来たら、スリ硝子のカバーに作り変える予定。

ステンドグラスが作れると、こんなときに、ちょろりと便利である。

そうして、カウンセリングのもう一人のお友達と、一杯700円のコーヒーを飲みに行く。

ギンザはまだ、バブルのままなのぉ?

アタシがバリに行っている間、彼女は、おばあちゃんに昇格していた。

アタシが俳句を始めた話をすると、彼女のパパは、俳句をやっていて、『つくし』なる俳句の本を毎月出版しているのだそうだ。

毎月だぜおい。

マジっすか?

そうして、俳人の娘は、俳句もやらず、『俳句をやる人は、他の文学をやる人より激しいし、自己顕示欲が強いよねえ。』だとか、『俳句をやる人は、ボケないよねぇ。やっぱ、常に脳を動かしているからかもねえ。』などと、カンウセラーらしい観点の話で盛り上がる。

『俳句はボケないのかぁ。知らなかったぜ』

彼女はいまでも、ターミナルケア(もう、死ぬと解っている人の介護)に関して研究を続けており、人間は、どう死ぬのがいいのかについてや、病院で絵手紙なんかを教える人に金を払わないのは、イカンという話に発展してゆく。マニアックな会話だぜ。

看護婦さんの彼女は、今度、その俳句の本をくれるというのだが、お断りしておいた。どうせ読まないからである。オジャラよ。もう少し、なんか読んだらどうなんだよ。

いいんっす。アタシには、山頭火センセイと放哉センセイがいますから。

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