ピカソの絵ってちっともイイと思わない。

アトリエを訪ねた知人(複数)に、このような質問を頂いたことがありますので、回答まで。

どうっすか?この絵はね、アタシが大學の卒業旅行で、スペインに行って、ピカソ美術館でピカソのキュビズムを模写して、そのあと、ベラスケスの生絵を見ながら、自分でキュビズムに展開した初めの頃の作品です。

キュビズムっぽく見えますか?

キュビズムというのは、『立体を平面で表現する手法』であり、たとえば、ボトルがあるとするのであれば、上から見た図、下から見た図、横から見た図などの全てを一枚の絵に入れて構成するだけです。


こんな感じで。

ラベルは、ボトルに貼りついていると実際は、ボトルの幅にしか見えませんけど、一枚の絵の中にラベル全部を入れたり、瓶底を入れると、もうキュビズムになっているということです。

この絵も、ピカソのキュビズムの模写を何枚かしたあと、アタシもベラスケスの生絵をみながら、自分でキュビズムに展開しようとした最初の頃の作品だったと思います。

写真のような肖像画を、まず、白と黒とグレーの部分に分けて色塗りして面を作るのです。

まず、これが第一段階。

これを更に、前から見たパーツ、横から見たパーツ、上から見たパーツ、下から見たパーツなどに分解したり、組み合わせたりを繰り返し、多方面からみた被写体を一枚の絵に入れこみ、さらに省略をほどこしてゆくという作業を進めて行くだけです。

平面と立体の関係を考えれば、すぐに理解できると思います。

ダンボールの展開図みたいなものです。

この絵がいいのか悪いのかというのとは全く別な話です。

今までの『見たままをカンバスに写し取る』という絵画制作から飛び出て、新しい技法を築き上げたということが評価されているのだと思います。

例えば、アタシがアナタのお顔をキュビズムの肖像画で描いたとします。でも、二番煎じなので、価値が無いということなのです。

この話を、知人に説明しましたところ、『 実像とは違うが・・・見えないところまで描いてしまうというピカソの発想はすごいなァとおもいます。 』という感想を頂きました。

全く、この事を伝えたかったのです。

今まで接してきた常識的な絵画や、日本絵画などと比較すると、方向性が正反対ですので、受け入れ難いのは納得できます。構造物の設計図としては問題多しです。

絵の好き嫌いは、俳句の好き嫌いと似ていて、あとは、個人的な趣向によるものなので、特に今後好きになる必要もないと思います。

でもまあ、今度見るチャンスがあったら、展開図っていう気持ちで見ると楽しさも増えるかもしれませんね。

たとえば、泣いた顔と笑った顔が組み合わさっていたり、ギターとテーブルとボトルが組み合わさっていたりしていて、基本的な知識があれば、ピカソのキュビズムの場合難しくありません。もっと進んだ時代の人は、何だか解らない人もいないワケではありませんが、それは、俳句でも同じことですので。解らないものは解らないし、好きでないものは好きでないというのは、アタシも同じです。

アタシの場合、最近は、ピカソのキュビズムの絵を見て、モデルがすごい美人だったということまで解ります。こっ、これって・・・・。

ピカソの絵の深さというのは、見慣れてくると、他の絵がつまらなく思えてくるという所だと思います。

例えば、ピカソ展の直後、常設展示の中世絵画などを見たとします。ピカソの絵を見ている間は、『コイツは変態だ』などと思っているのに、次の中世絵画を回る頃には、『ツマラン絵ばかり残しやがって』みたいなキモチになっているということです。

絵画表現というのは、俳句と同じで、瞬間表現や、感情表現なのです。日本画をご覧になるということでは、その筋の話は、優れた作品を思い浮かべれば、すぐにピンと来るのではないかと思われます。

そうして、そういうことを意識してピカソの作品に接するとその偉大さが解ってくるという構造です。でもまあ、女性が放尿している作品などは、実際問題やっぱ、変だったなのかなと思わないワケでもありません。たはは。

でもまあ、『瞬間表現』とか、『はぁ?』という感情表現なんかは、感じないワケではありません。両方入れるのはかなり上級俳句ってことになります。

アタシ的にはピカソが変でも真っ当でもどっちでも構わないってことで・・・・。

ピカソでも、ダリでも、女関係のゴタゴタをネタに大衆の好奇心を集め、知名度が上がっていったということを思えば、世の中というのはつくづくそういう構造なのかと思わないわけにはいきません。

使えるモノは何でも使って知名度を上げた芸術家(芸能人)というのは多いです。

どうでしょうか?

多少、キュビズムについて、ご理解頂いた方もいらっしゃるのではないかと思います。

絵画のコレクターで有名な『バーンズ』という方は、

『アートというのは、体系なのだ』と記していたらしいです。

『体系』というのは、

過去の作品に影響を受け、自分の作品の中に取り入れつつ、独自の画風を確立していくということのように感じられました。(私感です)

絵を描いていると、だんだんと行き詰まってゆきます。

そうすると、イロイロな作品を見て、刺激を得るようになってゆきます。

イロイロな作品を見ると、新しい情報がインプットされ、『こんなことをしてみよう、あんな方法を試してみよう、これは、どうやって作ったんだろう』

みたいな、試行錯誤を繰り返して前に進んでゆくということです。

それは、絵画に限らず、文章であっても、俳句であっても、また、他の創造物であっても同じだとアタシは考えています。

独自の画風を一人だけで手に入れることは不可能です。

何らかの作品や、自然、民具、風景、人物などに触れ、自分の世界を確立していった画家だけが、後世に名を残すことができるのですが、『影響を受けた何か』というのは、その絵の中に必ず出てしまうみたいです。

(バーンズに言わせると、『他の作品の影響を受け継いで、次の絵が作られること=体系』が感じられるということのようです。)

アタシの作品にも、イロイロな巨匠の絵が入り込んできているなと思います。もっと、自分なりの作品を沢山作って、昇華する日が来るかもしれませんし、パクリ画家で終わってしまうかもしれません。

先の事は解りませんが、理解できない絵を否定しているうちは、いつまでたっても、その先も理解できないということには違いありません。

バーンズの凄いところは、『この絵は、全くイイと思わない』と感じていたのに、『何故イイのか』というのを理解するために、研究したということだと思います。

その結果、若い才能のある画家の絵のよさを見抜く力がつき、安く大量に買い集め、ゆくゆくは美術館まで作り、その資産は何兆円とも言われています。

『全くイイと思わない』作品を研究し、価値を見出し、安く手に入れたというところは立派だったと思いますね。

収集家であれば、絵は安く買いたいんです。

高い値段で買うことは、誰にだって出来るのです。

(高すぎる絵を落札するコレクータ様の執念については、賞賛しかありませんが。笑。)

価値のある作品を、まだ、誰も気づかないウチから見つけ出し、安く買って持っておいて、価値が上がったら処分するという方法でしか、絵画で儲ける方法はありません。

株だってドルだって同じでしょう。

高い値段で買って、安く売ったらアナタが丸損なんです。

安く買ったのを値上がりした時に売ったときだけ、アナタは儲けることができるのです。

嫌まあ、絵で儲けようなんて、考えるべきではありません。

欲しいから買う。

飾りたいから買う。

好きだから買う。

でなければ、その作品と、一生つきあったりできないものなのです。

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