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009●どんな絵に価値があるの?
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『一番解りやすいのは、死ぬと価値が上がる』という事実。
これは、作品の数と関係がある。
『人類は、作品数が限られているモノにより、高い評価を下す傾向がある。』
みたいで、作家が死ぬと、これ以上作品が増えないという理由で、作品の価値が
上がることがあるらしい。
馬鹿げた話だが、モディリアーニやゴッホでさえもそうだった。
生きているうちにはほとんど売れなかったのに、死ぬと売れたワケで、
これは、悪徳画廊にしか出会えなかった不運を嘆かないわけにはいかない。
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アタシが価値を認めるのは
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作品から湧き出てくる、『作家の個性』に着目している。
習字を思い浮かべてもらうとよく解ると思う。
センセイのお手本をコピーして、生徒全員に同じ文字を書かせる。
しかし、一人として、同じ文字が書ける人はいない。
字であっても、個性(筆跡)というのが顔を出してしまうのだ。
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画家が、絵画を作る以上、価値を見出せる作品というのは、
『作家の個性』が表現されているのかどうか。であると思う。
ムナカタシコウも、『ピカソの絵は、誰が見ても、ピカソだと解る絵だということがスゴイ』
と、彼の絵を見て、こう残している。
『絵画というのは、こうでなくてはいけない。』のだそうだ。
絵が上手いとか、技術が卓越しているということ以上に、『個性的な作品』というのは
重視されているということである。
印象派の画家達はそのことをよく理解して、制作活動をしていたのだと感じる。
名前が残っている作家は、どの絵を見ても、誰が描いたのかというのが理解できるような
個性が絵の中に塗り込められているということである。
アタシは、絵を沢山見てきたけど、『個性を手に入れられた画家』というのは、
そう多くないと感じている。
それは、日本であっても同じことである。
顕著な個性を手に入れられた、
『ムナカタシコウ』であるとか、『梅原龍三郎』、『宮元三郎』、『中川一政』などは、
絵画の価値を認められて、現在は高値で売買されているということになる。
作家本人が、それほど高い値段で作品を販売したかどうかは、アタシには解らない。
あの宮本三郎でさえ、絵だけでは食えず、雑誌の挿絵などを描いて食いつないでいたと
記録されているのを見ると、生前、それほど裕福だったとも思えない。
もし、裕福だったのだとすれば、晩年、絵が安定して売れ始めてからだと思う。
へー。藤島武二のお弟子さんだったのか。なるほど。
センセも大事。
どちらにしたって、絵の価値と作家にしか作れない個性というのは、関係が深いということは理解できる。
彼らの作品というのは、他の人に真似することの出来ない何かが秘められている。
人気作家なので、贋作も多いらしいが、見る人が見れば、ホンモノかどうか解るらしい。
それは、本人にしか作り出せないない『個性』なのだとアタシは考えている。
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バリ島でのデッサン会
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アタシは、バリで、ヌードデッサン会に参加していたときに、
そのレベルの高さというか、個性のある画力をもつ作家さんが多いということに驚いた。
アニーなどは、生きているみたいなデッサンを描くし、ケリーの作品はいつみても、透明で美しかった。
それでいて、どの絵も、人目で、彼女が描いた絵だということが識別できるのである。
『ホンマもんやで。』
彼女たちは、有名でもなければ、絵が高値で売買されているというワケでもないが、
その作品には価値があるということは、明確だった。
(どちらの作品も2枚ずつ所有のアタシ。価値ある品は持ちたいのよ。)
不足しているのは、営業能力ということなのだと思う。
要するに、知名度が皆無なので、買いたい人と出会っていないということだ。
『●●美大卒』とか、『△△会会員』などという表面的な情報だけではなく、
『作家の表現する作品の個性』というのに着目することができれば、
絵の価値はぐっと判断しやすくなる。
『作品には個性があるのに、無名』だから、
市場が存在せずにいて、作品の値段が安いということだからである。
どんなに優れた絵が描けても、作品に個性があったとしても、
画家として食えるワケではないということでもある。
絵をこれから見て回るアナタは、個性に関しても、意識してみるといいと思う。
そうして、『この作家の個性は、他の人には真似できない域だ』と思えれば、
無名でも買ってみてもいいかなという意味である。
絵を買うときに最も注意しなければならないのは、『高すぎる絵画』についてだけである。
安い絵画が値上がりするかどうか心配している、アナタの方がどうかしている。
『値段1000万円の絵が、実は500円だった』というのは、詐欺まがいの絵画をつかまされたという
ことになるが、『5000円の絵画が、実際は5000円』だったとしたって、そんなことは当たり前のことであり、
ガッカリするのが変なのである。
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版画展
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今回版画展というのを見に行った。
アタシは、全く入選の事実を知らなかったのに、作品を見て、
誰の作品か解ったという人が3人もいて驚かされた。
二人は、ネットの銅版画で、何度も見たことのある方の作品。(面識はない)
もう一人は、知人のグループ展で知り合った方の作品。
どの作品にも、全く見たこと無い作品だというのに、作家の生み出す個性というのが
秘められていて特徴があった。
何百枚の作品とならんでも、作品を見ただけで、『●●さんの作品だ』と解るというのがスゴイ。
画廊に何度も足を運んで、そういう作品に出会って、
しかも、お安かったら、結構掘り出しモノってことだとアタシは思う。
欲しいかどうかというのは別な話で、そんな個性がある作品だとしても、
買いたいかどうかというのとは違う。
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